H-Yamaguchi@Tumblr

というか、むしろ、ネットはソクラテス(レベルの人)のみが独占していたその領域に凡人がいくらかはアクセスできるようにするツールなのだ。ネットをちょっと使いこむことで、誰にでも自分の「無知」にアクセスできる。「あのサービスをこんな風に活用できるとは思ってもみなかった」「あのツールにこんな可能性があるとは気がつかなかった」「この領域でこんな技術が使えるとは予想してなかった」そういう経験を自分に嘘をつくことなくしっかり記憶することで、ネットによって人は賢くなれる。

ギークというのは、技術について人より理解しているわけではなく、ネットの中にあるこの「無知の知」へのアクセスが巧みな人たちだ。彼らは自分が発見した「無知の知」をユーザとシェアし、ユーザの中からソクラテスを引き出すことで、ユーザの自発的な貢献を集めるのである。ソクラテスは自分の無知を知っているから、常に自分の持っている知識や情報をシェアすることを選択する。そういうユーザの中のソクラテスを引き出すことが巧みな人をギークと呼ぶのである。

「衆愚」と言うなら、ソクラテスをうまく騙して扇動する手法を思いついてからにしてほしいと私は思う。もちろん、純粋なソクラテスはもう死刑にしてしまったので、「ソクラテス」と言うのは今では比喩でしかなく、実体としては人とソクラテスの混ぜものだ。しかも、人とソクラテスの混合比は1000:1なのかもしれないが、多くのナノ・ソクラテスはネットによって目覚めつつあるのだ。ソクラテスが「衆愚」に陥るとしたら、それはいくらかは自覚的な「衆愚」であり、各種Web2.0的サービスを駆使して自分たちの「衆愚」をよくモニタリングしている「衆愚」である。それをこれまでの「衆愚」と同じ枠組みで論じているのでは話にならない。